#2 子どもがミスをしたら、一緒に見直してみよう

 前回に引き続き、#2でも、ケアレスミス関連の話題を続けてみよう。

 私が子どもたちと一緒にテストの見直しをしていると、「ここ、ケアレスミスしちゃって・・・」という言葉をよく聞く。子どもたちは間違えた理由を正直に述べているに過ぎない、のだが。

 確かにこちらが見ても単純な計算ミスに見える。そうかと思い、ミスをした問題をもう一度解かせてみると、まったく同じミスをしてしまう。ケアレスが起こらないように、時間を十分取ってやってみても、結果は同じだ。

 こんな場合は、きっとケアレスではない。たとえば、引き算の繰り下がりが苦手だったり、九九の中でも6×7だけはよく間違えてしまったりと、ミスのパターンを見出すことができるだろう。これを見つけることができれば、次からそのパターンを意識しやすくなり、ミスが減っていく。

 さて、今回はここからが主題だ。なぜ子どもたちは、ミスを「ケアレスミス」として片付けたいのだろうか。

 前回のエッセイでは、「ケアレスミス」はミスに対する免罪符、と例えた。免罪符とは、中世、ローマカトリック教会が罪の赦しを与えるものとして発行した証書のことであり、転じて、罪や落ち度に対する非難を免れるものという意味がある。つまり、子どもたちの中に、ミスは罪、悪いこと、という考えが根付いているということだ。むしろ強迫観念というべきか。

 子どもたちは、自分がやってしまった簡単なミスを「罪」と認めたくない。「罪」と認めれば、それに対して贖罪しなければならないから。周りから責められるかもしれないから。その心理的ストレスからのがれるために、知らず知らずのうちに、このミスは理由のあるものではなくて、不慮のミスだったのだと自分に言い訳をつくる。その現れが「ケアレスミス」というレッテルだ。

 これは子どもたちが故意にやっていることではない。脳の働きとして、自然にそう思ってしまう。認知バイアス・・・いわば「脳のくせ」のひとつだ。私は「心理的ストレスを減らすために、脳が自分にウソをつくこと」と表現したりする。自分を守るための自然な反応だ。大人になったからといってなくなるものでもない。

 では、子どもたちがケアレスでないミスを「ケアレスミス」といってきたらどうしたらよいのか。子どもたちは言い訳をしているのではなくて、心から素直に、ミスの原因はケアレスだ、といってきているのだとしたら、対応はとても大変だ。

 「次は気をつけようね」ではダメだ。子どもたちは、次は気をつければよい、と思うだけで、ミスの本質に気づかない。それではミスは減らない。気をつけるというのは何の対策にもならない。

 もちろん、ミスを叱ったりしても意味がない。ちゃんとやれといわれて、すぐにできれば苦労はない。どうしたらよいかが分からないのだ。実際、ちゃんとやれといわれるだけで放っておかれると、子どもたちはどうしたらよいかわからない顔をしているものだ。すると、ミスは減らないし、ミスは罪という強迫観念が強まるし、勉強はますます嫌いになるし・・・、百害あって一利なしだ。

 だから、子どもがミスをしたときは、大人も一緒に見直すようにしてみよう。そして、ケアレスでないとしたら、どんなミスなのか(当然ただのケアレスもある)を明らかにする。同じパターンのミスを繰り返さないためにはどうしたらよいかを提案する。これはこういうミスだったね、次はこうしよう、といってあげる。

 同時に、この問題の解決にはミスを罪とする強迫観念を晴らすことが必要になる。ミスはしてあたり前。失敗は成功の母。一度やったミスを繰り返さないように努力することこそ大切。このような認識を、子どもたちはもちろん、子どもと接する大人も一緒に心の底から納得することだ。

 一緒に見直すのは楽しいね、といって笑いかけてあげる。ここがわからない・・・といってきたら、わからないことがわかったね、と褒めてあげる。ここはどうすればいいの? と聞いてきたら、いい質問だね、と返してあげる。そうやって一緒に少しずつ「まなび」が進むのだ。

(記:木村 浩)

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