#6 ちゃんと読む習慣をつけて、「読む力」を育てよう
そういえば「国語」とはなんだろう。手元の辞書で調べてみることにしよう。
新明解国語辞典(第七版)によれば、「一.国家を構成する国民の使用する公的に認められている言語。〔狭義では日本語を指す〕 二.教科の一つ。『国語一.』を正しく聞く・話す・読む・書く能力を段階的に高めることを目的とする。・・・」とある。このエッセイのテーマである「まなび」という文脈からすれば、国語とは、日本語力の向上を目的とした教科といえそうだ。
教科のひとつということであれば、文部科学省が定めている小・中学校の学習指導要領(学校教育の目標や大まかな教育内容をまとめたもの)も見てみよう。すると「発達の段階に応じた、語彙の確実な習得、意見と根拠、具体と抽象を押さえて考えるなど情報を正確に理解し適切に表現する力の育成」を目指すとある。なるほど、辞書の定義とよくマッチしている。
このように確認してくると、国語力の向上にはおおまかに3つの力が必要のようだ。聞く・読むという「理解力」と、話す・書くという「表現力」。そして、両者のベースとなる「語彙力」。
さて、今回は「理解力」のうち、特に、文章を「読む力」について考えてみよう。たとえば私が塾生に長文読解を教えていて、改善にとても苦労するパターンがある。与えられた長文を読んだときに、内容をまったく間違えて捉えてしまっているにもかかわらず、あれ? と疑いすらしないというものだ。傍からみていても、内容を読み違えた個所で戸惑った感じもない。
これは文章を 自覚なく読み飛ばすクセがついていることに原因があるようだ。理解のできる文章と文章、ひどいときには単語と単語だけをピックアップして、その間の文脈は自分の想像で都合のよいように勝手に補完する。自分では読んだつもりで、その実、読んでいない。そしてこのプロセスは「脳」が自動的に行ってしまい、自分の「意識」にはあがってこない。
この状態はとてもまずい。どんな文章を読んでいても、自分の理解が間違っていることに気づかない。疑いすらしない。問いを解いて答えが間違っていても、その理由がわからない。だから放っておく。悪循環に落ち込んでしまう。
おそらくは小さいころから、理解できないむずかしい文章や単語などは飛ばして読んでいたのだろう。長い間それを続けると習慣化する。すなわち、脳の中でそう処理する回路が設定される。すると、ちょっと理解できないところが出てくると脳が自動的に読み飛ばすが、それに気づかない、気づけない。これがクセというものだ。
子どものうちは、ちゃんと読む習慣をつけることが大切だ。読み飛ばしたり、斜め読みをしたりしないで、文章全体を読む練習をしよう。最初は音読するなどして、正しく文章を追える能力を身につけるのがいいだろう。
読み物や本としては、最初は単純なストーリーものが好ましい。主人公や登場人物に喜怒哀楽があり、あまり突拍子もない判断などはせずに、着実に進んでいくもの。絵本もよい。わかりやすい挿絵が子どもたちの理解を助けてくれる。
また、子どもたちの興味や関心、語彙力、忍耐力も加味して、レベルに合わせた本を選ぼう。子どもにとってむずかしいものは、それだけで読み飛ばしてしまう可能性が高くなる。
そして、できれば大人も一緒に本を読んで子どもに問いかける。主人公は誰? どんなことがあったの? この登場人物は何をしたの? 主人公はどう思った? 子どもが内容をイメージできているかどうか、会話しながら確認しよう。
もし子どもが内容をイメージできていなければ、本のレベルを調整することを考えよう。読む力は、階段を一段一段のぼっていくように育てる必要がある。大人があせってむずかしいものを与えても、子どもが読めていなければ意味がない。子どもが楽しめるレベルの本を探そう。
「読む力」は、子どものころからちゃんと読む習慣をつけないと育たない。子どもたちと一緒にゆっくりと本を読んで、コミュニケーションをとる時間を設けてみてはどうだろうか。
(記:木村 浩)
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