#7 子どもたちが作文をきらいにならないように導こう
もしかすると、子どもたちが苦手にしている代表格は「作文」かもしれない。作文きらい、めんどうくさい、なに書いていいかわからない、どう書いていいかわからない、いろんな理由をつけて、作文を書かない。
まず、作文はむずかしい、どうせ自分には書けない、というような思い込みを払しょくすることから始める必要がある。そのためには、どうしたらよいだろうか。
たとえば自転車に乗れるようになるのと同じようなことだと考えてみればよい。最初からうまく自転車に乗れた人などいないだろう。
では、自転車に乗るためにどんな練習をしただろうか。ごくまれには、スパルタ方式で自転車に乗る練習をした、なんていう強者もいるかもしれない。が、多くの人は、まずは補助輪をつけて自転車をこぐ感覚を身につけたり、自転車を引きながら歩いて自転車との一体感を感じたり、後ろで誰かに支えてもらったり、と段階を踏んで練習していったに違いない。
作文も同じこと。簡単な作文から段階を踏んで書けるようにしていけばよい。いきなり立派な作文、大人や先生にほめられるような作文が書けるわけがない。何があったかというできごとと、それに対する簡単な感情。これだけのシンプルな作文なら、それほど苦労せずに書けるはずだ。
子どもたちが作文を書いてきたら、最初から文法がどうとか、主語が正しくないとか、文章がおかしいとか、不備ばかりを指摘するのはやめよう。作文を書いたこと自体を認めて、ほめてあげることが大切だ。子どもたちが作文をきらいになってしまうのは、周りの親や大人がせっかく書いた作文をほめてくれないから、というのは大いにありうる。まずは作文を書いたことをほめてから、段階を踏んで、ここはこう書くともっとよく伝わるね、などと導くようにするのがよいだろう。
もし、シンプルな作文も書けないという場合は、その子がそのときの自分の感情をどう表現すればよいかわからないということかもしれない。
子どもたちは「今日はこんなことがあったよ、こうで、こうで、こうだったよ」と親や大人に話すものだ。つまり、誰かに伝えたいできごとはあるということ。だから、子どもが今日のできごとについていろいろと話して来たら、「それでどう思ったの? どう感じたの?」と問いかけてみよう。もしかすると、うまく自分の感情を言葉にできないかもしれない。その場合は子どもの表情を見て、「楽しかった?」「大変だった?」などのようにヒントを出してあげよう。何度か繰り返すうちに、あ、この感情は楽しいというんだ、これは大変だったんだ、というように、できごとと自分の感情の表現とが結びついていく。そうすれば、作文も書けるようになるはずだ。
もうひとつ。子どもたちが作文を書けない理由は、書いて伝えたいできごとや思い、感情がないから、ということもある。なかば強制的に書かされるような作文では、そんな場合が多い。
たとえば、まったく興味のない社会科見学に行って、友達と帰りのバスの中で騒いだことくらいしか覚えてない。次の日に学校で、昨日の社会科見学について作文を書くことになったが、作文に書くべき肝心なことは何にもなくて、困ってしまった・・・という感じだ。
だから、最初のうちの作文の練習は、楽しい、うれしいという感情が大きく表現されることを題材にするとよい。遠足や運動会のように子どもたちが積極的に取り組んでいるものがいいだろう。記憶と感情とは密接に結びついている。大きな感情が呼び起こされたできごとは、記憶もされやすい。その記憶を呼び起こすと、そのときの感情も一緒に思い出される。そんな性質をもつ。
子どもたちが興味を持って体験したことについて、楽しい記憶を呼び起こしながら作文を書けば、作文を書くこと自体も楽しい感情の中での体験となる。その作文を親や大人にほめてもらえれば、それもまたうれしいこととして脳に記憶される。そんな繰り返しで、子どもたちが作文を書くことをきらいにならないよう導いてあげることが、一番大切なポイントといえるだろうか。
(記:木村 浩)
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