#8 伝えたい相手の気持ちになって、文章を書いてみよう
前回は、子どもたちが作文をきらいにならないよう、まずは、子どもたちが興味を持って体験したことについて、楽しい記憶を呼び起こしながら作文を書いてもらえるように導いてあげよう、という話だった。今回はそのつづきとして、もう少し踏み込んだ話をしよう。なお、今回のエッセイについては、小学校高学年から中学校の子どもたち自身に読んでもらいたいと思っている。
あたりまえではあるが、文章というものは、自分で書いて終わり、というものではない。その文章を誰かが読んで、その内容がその人に伝わる。そこまでがセットだ。ほかの人には普通は見せない日記だって、未来の自分なら読むだろう。
私は学習塾で作文の指導もしているが、実際に書かせてみると、誰に伝えるためにその文章を書いているのかについて、具体的なイメージをもっていないことが多い。結果、その伝える相手に何を感じてほしいのかが明確になっていない。
あなたも小さいころ、父の日や母の日に、おとうさんやおかあさんへの手紙を書いたことはないだろうか? 自分の父親、母親への感謝の気持ちをとにかく伝えたくて、でも何をどう書けばよいのかわからなくなって、結局「いつもありがとう」とだけ書いてみた経験が私にもある。でも、これで十分に自分の気持ちは相手に伝わっているものだ。文章とは本来そういうものだ。
だから、文章を書くときに大切なのは、「誰かに伝えよう」という意志だ。その意志があるから、何を伝えたいか、どうやったらそれが伝わるだろうか、というところに心が届く。
そして、その伝えたい相手の顔がちゃんと頭に浮かぶ。これを伝えたらその人はどんな顔をするだろうか、笑うだろうか、よろこぶだろうか、おどろくだろうかとイメージできる。読んだ相手の気持ちになって、文章を書くことができる。
では、具体的に文章を書く場面を思い浮かべてみよう。ここに一枚の写真がある。あなたはこの写真をとても気に入って、これを自分の大切なひとに伝えたい。そこで、手紙でも書いてみようかと思いつく。
まずは、自分自身の気持ちをよく見てみよう。その写真を見て、どんな感情をいだいたのか、なんでそう感じたのだろうか。どうしてあなたはその相手に伝えたいと思ったのか。自分自身を深く掘り下げていって、何のために手紙を書こうとしているのかを確認する。
そして、手紙に何を書いたらよいかを探す。その写真をよくみて、大切な情報を把握する。写真には誰が、何が写っているのか。どんな状況や場面なのか。写っているものの色や大きさはどうなっているのか。また、その写真を手に入れた場面を思い返してもよい。その写真は、ふと見たお店のウインドウに飾ってあったのか、展覧会に行って気に入った一枚だったのか。自分で撮ったら、とてもよい出来だったのか。
ここまでくれば、あとは自分が考えたこと、感じたことをそのまま書けばよい。飾った言葉はいらない。正直に、素直に書いてみる。
文章を書き終えたら、最後に、その文章を読む相手の目線、気持ちになって、もう一度文章を読み直してみよう。自分の伝えたいことが伝わっているか、妙な誤解をまねくような文章になっていないか。伝えたい相手が読んだときに、この文章で理解できるかどうか、ということにまで思いをはせる。つまり、相手の気持ちを思いやって初めて、相手に伝わる文章ができあがる。
#3で、「まなぶはまねぶ」といったが、作文とはとにかく現実の世界をまねて、文章という世界に再構築することである。そのためには、対象、環境、自分自身の心の中までをよく観察すること。それを誰かに伝えるつもりで、ありのままに表現すること。そして、相手の気持ちになって読み返してみること。この経験を積み重ねることが、相手に伝わる文章を書くには大切だと感じる。
もちろん、文法的な正確さや文章のうまさということも大切だ。しかし、本当に相手に伝わる文章というものは、相手を十分に思いやろうとする心からうまれるものなのだろうと思う。
(記:木村 浩)
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